☆耀良☆の独白

あきらのどくはく。 人の夢と書いて「儚」。 色即是空。空即是色。

趣味は読書

 村上春樹が嫌いな人が勝手に検索してきているようですが、そんなに大したことは書いていませんで残念でしたw そのうち気が向いたらもう少し悪口を書くかも知れませんが。

 さて。俺は昔から読書が好きだったんですが、最近全然読まなくなってしまいました。というのも根本的に読む時間が無くなってしまったというのが原因です。
 その話をこないだ職場でしたら、「だったら通勤の電車の中でちょっとずつ読めばいいじゃん」などという返答が返ってきて俺は非常にムカつきました。

 暇つぶしで片手間に読書する人はそれでもいいかもしれませんがw、俺はそういう読み方は好きじゃないんですよ。読むときは一気に読み進めるんです。読み始めたら数時間ぶっ続けで読まないと気が済みません。

 映画が好きな人に対して、「時間が無くたってポータブルプレイヤー使えば電車の中で見れるじゃん」と言ったらたぶんキレますよ。2時間の映画を電車の中で10分ずつブツ切りに見て、満足感を得られるとでも思ってるんですかねw その辺が分かってない連中と話をする気にはなりません。

***

 読書と言えば、以前は重松清が好きでした。結構ファンが多い「流星ワゴン」も好きですし、ちょっと長いですが「カシオペアの丘で」あたりも俺は好きです。
「以前は好きでした」というと今は好きではなくなったように聞こえますが、正確に言えば「最近の作品は好きではない」という意味です。
 この人の名前が知れ渡る前は、この人自身が書きたい放題書いていたような気がするんです。自分の書きたい作品を書きたいように書いていて、それが俺の感覚を刺激していたんじゃないかと。「なぎさの媚薬」なんて、完全に官能小説ですが、俺はこの作品に流れるテーマ性は非常に優れたものだと思っています。
 いつしかこの人も売れっ子作家になってしまい、中学入試国語小説の引用ベスト2だかなんだかになった頃から、方向性が変わってきてしまった感じがするんですよ。万人向けというか、商業的というか、この人の場合でいけば「お涙頂戴路線」になってきてしまった。作家自身がどう考えているのか知りませんが、少なくとも俺にとっては良くない転換ですね。
 オレンジレンジが商業路線に乗っかって、曲調をガラっと変えたのと同様です。最近どうもそんな感じがするので、読もうとする気にならない。
 そもそも時間がないというのもあるんだけど、それ以上に気が進まないというのが現状です。

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090621

 特段忙しいというわけではないですが、しょうもない仕事に押されている今日この頃です。
 月並みな話、「『忙』という文字は心を亡くすと書く」といいますが、あれは当たらずとも遠からじだと感じます。

***

 さて。じゃあまず最近の朝日新聞について思ったこと。

 19日の「声」欄にこんな投書がありました。73歳の男性です。

 (前略)先日、中学1年の孫娘から聞いた話に心が和んだ。話から「親切」は人と人を結びつけ、社会を明るくするものだと思った。
 ある朝、友人が電車に乗ろうとしたら、定期券がない。困っていると駅員さんが「お嬢ちゃんが定期券持ってるの分かってるから降りる駅に連絡しておくよ」と対応してくれたという。
 数日後のこと。孫娘が急いで帰りのバスに乗った。見える窓の景色が、いつもと違う。違ったバスに乗ってしまったのだ。運転手さんに話したら「次で乗り換えて。何も心配しないでいいよ」と言ってくれた。
 駅員さんと運転手さんの優しさと親切は本当にうれしかったと話してくれた。この話に私も感激した。2人の子供たちが、この「親切」をいつまでも忘れずに育って欲しいと、心底から願った。


 という投書でした。

 それとは全く関係ないですが、次の日に我が地方自治体の監査報告の記事が載りました。
 指摘事項としては、
●拾った小銭700円分を住民票などの収納金の不足分に補充。
●保存期間中の文書を誤破棄。
●「特別の知識が必要」として随意契約された業務が丸投げされる。
●経理処理しない現金15万円が市立病院の金庫から見つかる。
 などなどがあげられています。軽重の差はありますが、全て監査委員から「指摘事項」としてあげられてきているわけです。

 で、だ。
 以上2つの話を合わせて考えると、上の投書の話も、明らかに監査の指摘対象なわけですよ。
 投書に出てくる交通機関が、どこの会社か(どこの交通局か)わかりませんが、これは完全に不正乗車です。乗車券を持っていない人間を、駅員や運転手の権限で乗車させてはいけませんよ。
「知り合いだからタダで載せてやるわ」というのと全く同次元の話です。
 だから、この監査の記事で言えば、

●乗車券を持っていない者を、駅長の判断で不正乗車させる。

 みたいな感じで指摘されてもおかしくないわけです。
 にも関わらずアホな大衆は、上の投書に対しては「親切って素晴らしいね!」「この投書を読んで心が豊かになりました」とか何とか、頭の中お花畑発言をするんです。それでいて、「拾った小銭700円分を住民票などの収納金の不足分に補充」ってのを読むと、「公務員はけしからん。税金泥棒!」「適切な会計処理をしろ!」とか何とか言い出すんです。
 別に公務員の肩を持つわけではなくて、どうしてそういうダブルスタンダードでもって平然と主張ができるのかを知りたいですね。


***

 18日の夕方、出張先から職場に戻ろうとしたら、近くの駅で去年の教育実習で教えたS君とKさんに会って少し話をしました。今の職場と、俺の母校は最寄り駅が同じなので、たまに彼らを見かけることはありましたが、話をしたのは初めてでした。
 雷雨だったし、定時も過ぎてたから、直帰してやろうと思ったけど仕事が残っていたので仕方なく職場に戻ろうとしたところに、駅の入り口で雨宿りしていた2人に出会ったというわけです。なんでこの不釣り合いな男女2人が一緒におるんかと疑問が浮かびましたが、よく考えてみれば部活が同じでしたw

 とりとめのない話を15分ぐらいしたかと思うんだけども、「こいつらの方が絶対うちの職場の連中より話が合うな」と痛感しました。

 まず、言葉の節々にイヤらしさが感じられない。職場の連中は仲良く話をしているかに見えても、心の中ではその人を値踏みしながら当たり障りのないような会話をしているわけです。上司に至っては、「宥めて賺して仕事をさせよう」という魂胆が見え見え。優しく話しかけられたら用心しないとダメですw

 こないだも同じようなことを書いたけど、やっぱり利害関係のある人っていうのはいかんね。つくづくそう思う。
 S君なんて、俺の職場と高校が近いことを知って、「だったら来ればいいじゃん」って言ってくれたわけですよ。彼はクラスでも憎まれキャラをやっていて、いっつも皮肉めいたことばっかし言ってましたが、彼の言葉にはウラオモテがないから好きなんです。少なくともお世辞ではないことが分かる。

 でも、それをうちの職場の人間が発しても、社交辞令としか考えられません。
「ぜひまた足を運んでくださいね(二度と来るなよボケ!)」
「それではまたお邪魔させていただきます(二度と来るかボケ!!!)」というやり取りがありありと目に浮かびます。涙が出てきますね。

 あとは、世代間の差の問題なのかもしれん。なんだかんだ言って俺と彼らは6年しか離れてないわけです。そりゃ話があうだろw
 職場で俺と6歳差以内の人なんか1人しかいない。あとはみんな10歳以上年が離れているので、感覚が全然違う。遠い異世界の人達ですよ。
 やっぱり年齢の壁は厚いですね、と書くとまたこないだと同じ話になってしまうと言うねw

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210614

 前回の記事から2週間も経ってしまったので、何か書こうと思って書いている次第です。本来は書きたいことを書きたいように書くのがブログの姿だと思っていますが、少なからず見に来る人がいるとやはり意識せざるを得ません。悲しい性です。

 特筆するような話はありませんが、だらだらと近況でも書きましょうかw

 こないだ、とある機会があって、色んな世代の方とグループワークをする機会がありました。たまたま同じグループにタメの人がいたので、終わった後にそのままメシを食いに行きました。
 やっぱり部署によって全然仕事が違ってて、少なくとも彼は俺よりも時間的に余裕があるようで羨ましく感じましたが、「何が大変って、人間関係が大変。みんな仲悪い」ってのを聞いたときは、「どこも同じなんだなー」と思いました。

 彼のところは「仲が悪いというのを隠そうともしない。みんな言いたい放題言ってる」らしいですが、うちは「本当は仲が悪いのに表面的には上手く取り繕って仲が良いフリをしている」という状況で、その辺の違いはあれども、要するに「みんな仲が悪い」ということですねw
 仕事を回していかないかんから最低限の付き合いはするんだろうけど、プライベートで付き合うことなんか絶対無いんだろうね。別にダメとは言わんけどw


***

 あとは、去年教育実習でお世話になった先生のところに顔を出してきました。本職は高校の先生なんですが、大学で非常勤講師もやってるので、そっちの授業の方に参加させて貰いました。

 授業が終わった後に、理系の学生と話をしているのを横で聞いてたら、

「今後遺伝子研究が進んでいったときに、ある人の遺伝子が明らかに正常よりも劣っていると判断されるようなケースも出てくるだろうけど、そうした場合にどうやって民主主義を継続していくのかが難しいですよね」

 という話に対して、先生は、

「民主主義って言うのは、別に最良策ではないからね。最悪の事態を回避できると言うだけの話であって、必ずしも民主主義を採用する必要はない」

 と答えていました。こういう言葉の節々に「この人は本物だな」と感じるんです。

 頭の悪い社会科教師なんかだと、「自由で平等な民主主義社会!」とか何とか言って、机上の空論や理想論しか吐けないんですよ。そういうアホ教師は、自らも正論を笠に着て、生徒に対して「正論を答えなければいけない」という一種のファシズムを押しつけているわけですが、そういうのとは違うんです。
 そこに、それこそ「真の民主主義」を感じるんです。皮肉な話です。


***

 教育実習つながりで話をすると、こないだの俺の誕生日に、去年教育実習で受け持った生徒から、おめでとうメールが来ました。誕生日なんか教えたかどうか覚えてませんが、たぶん自己紹介の際に渡した紙に書いてあったんでしょう。

 まあそんなことはどうでもよくて、気になったのはその冒頭部分に「○○○先輩」と書いてあったことです。俺は教育実習生としてお邪魔したわけですが、立場は「先生」でもなく「先輩」でもなく、もちろん「タメ」でもない微妙なものでした。どれか選べと言ったら先輩に近い形なんでしょうけど、部活で繋がってるわけでもないし、利害関係もないわけで、何とも言えません。
 先生であれば利害関係があるので「こんなこと言ったら単位くれないんじゃないか」だの色々考えるし、部活の先輩であっても利害関係があるので、言いたいことも言えないし、ケンカもできません。
 実際俺は、彼らの部活の先輩の悪口なんかも聞いていたので、そういう考え方をすると、タメに近い感覚なのではないかと思うわけです。彼らは俺に対して言いたい放題でしたし。じゃあタメかと言えばそれは無いでしょうw
 俺が思うには、「利害関係はないけど年は違う」という状況だったのではないかと。

 これは日本人に特有なのか、儒教思想なのか何なのか知らんけど、どうも年齢による隔絶を感じるわけです。1年でも年が違うと上下関係ができあがる。浪人生と現役生の関係も同じです。学年は同じだけど年は違うという。「ぶっちゃけ扱いにくい」という声はチラホラ聞きます。

 俺はそういうのが好きではないので、基本的に誰に対しても同じ態度を取っていて、「年ぐらいどうでもいいじゃん。知ったこっちゃないじゃん」とか嘯いていますし、うちの係長なんかは「あんな態度のデカい新人は未だかつておらん!」とかなんとか勝手に怒ってるらしいですがw、そんな俺でも多かれ少なかれ年齢による壁を感じますし、それが態度にも出ます。
 それがいいか悪いか分かりませんが、その壁によって心理的な距離感を感じてしまうのは、あんまりいいことだとは思いませんね。

 以前に書いたか書いてないか忘れましたが、代ゼミの某講師が「敬語は相手を敬う言葉ではなく、相手と距離をとるための言葉」だと言っていました。仮に同じ年であっても最初は敬語を用いて、適度に距離をはかって、だんだんとその距離を縮めていく。それができない人とは敬語を使ってるんじゃないかと。

 まあでも世の中、必ずしも仲良くなりたい人ばかりではないので、ビジネスライクな付き合いには敬語は欠かせないんでしょう。
 そう考えると、いわゆる「タメ口」を使える「若い人」のほうが人付き合いはうまいんじゃないかと思う今日この頃であります。

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係の内情

 うちの職場はなかなか居心地の悪い場所です。
 こないだ外回りをしているときに、うちの課の女性陣2人と男性1人一緒に御飯を食べに行きました。お約束なのかもしれませんが、ああいう場では仕事の愚痴、特に上司の愚痴しか出てきませんね。
「あんなんだからいつまで経っても係長になれんのだわー」「あんだけ残業しててなんで何にもやってないのー」「あの人は愚図だからダメ」とかなんとか並べ立てて、俺に同意を求めるわけです。新人は大変です。

 もっと酷かったのはこないだ係長に連れて行かれた飲み会です。
 まだ仕事が残ってるというのに、定時で退社させられて、「いいのいいの、そんな仕事。今日は飲み会だよ!」とか言われて拉致されました。
 うちの係長のお友達3人と、そこに入った新人3人で飲みに行ったんですが、パワハラ&セクハラに近い発言がポンポン飛び出す様子に、さすがの俺でも「これは無いわw」と思いました。 しかも話がつまらない。しょうもない昔の武勇伝だの、仕事の愚痴だのを延々と聞かされるわけです。
「うちの係の連中はクソの役にも立たん!」「あいつらは仕事に対するモチベーションが感じられん!」「うちの課には能力のある人がいない!」「Mのバカのせいで俺の仕事が増えた!」「うちの仕事は俺たち係長が回しとるんだぞ!」だのなんだの、夜の10時まで聞かされるのは拷問としか言いようがないですね
 しかも、ヒラに対する愚痴をヒラである俺に言ってどうするんだと言うね。この係長は結局どっかで俺の愚痴を言っているわけで、それを考えると仕事する気無くしますね。

 さらに、「君は実家暮らしでラクをしている」だの「今まで優等生だった君には何も分からんだろう」みたいにケンカを売ってくるので、仕方なくケンカを買ってやりました。
「僕は冷やかしで受けたら受かっただけなんで、ぶっちゃけどうでもいいです」「ここは人間関係は面倒くさくて大変ですね」と言ってやったら結構食いつかれましたw

 実際、うちの課の人間関係は異常ですよ。あんだけ陰口を叩いておきながら、みんな表ではニコニコしてますからね。
 上の「Mのバカ」に対しても、本人の前じゃ「Mくぅ〜ん!」って呼んでますから。なんだそれっていうね。
 他の課の連中とも、「仲良しごっこ」の馴れ合い遊びをやっているのをよく見ますから、そういうのはうちの課に限った話じゃないのかも知れませんね。

 っていうか俺のどこら辺が優等生なのか教えて欲しいものですね。確かに学歴だけ見れば優等生なんでしょうけどねw

 もう二度とああいう飲み会には参加しません。しょうもない愚痴を聞かされた上に、オゴリではないというね。前々から係長はケチだと思ってましたがw

***

 仕事の話で色々バレるといけないので今後は別ブログを作る、という話をしていたのに大嘘つきですねw

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村上春樹は嫌い2

 何でか知らんけど、「村上春樹 嫌い」でググってこのブログにやってくるという方が1ヶ月に必ず一人はいて、特に最近は彼が新作を出しただか何だかで、ググって来られる人も増えております。

 前回 は(といっても2年以上前ですが)村上春樹とそのファンの悪口を色々と並べ立てたわけですが、どうも「何がどうして嫌いなのか」という核心に迫る回答というのは用意できないままです。
 なにぶん村上春樹を読まないので、詳しくは分からないんですよw 嫌いだから読まないのであって、何が嫌いか分かるぐらい読んでたら、既に嫌いではなくなってるんじゃないでしょうかね。読む気もないですしね。
 この間戴いたコメントの中に、「翻訳文のようなぎこちない文章」という指摘があったんですが、恐らくこれも俺が彼の文章を嫌っている一つの理由ですね。俺の文章がそこまで上手だとは思いませんが、村上春樹の文章は少なくとも俺の文章感覚にそぐわないんでしょう。

 最近は忙しくて本なんて読んでませんが、昔よく読んでいた頃でも、外人作家の小説を翻訳したものは基本的に読みませんでした。というのも、翻訳した小説というのは、なるべく原文を生かそうと思って訳してるので、どうしても文章がぎこちなくなるんです。Harry Potterなんかヒドかったですね。

原文:Harry Potter was a highly unusual boy in many ways.
訳文:ハリー・ポッターはいろいろな意味で、きわめて普通ではない男の子だった。

 中学生が英語の期末テストで訳したような文章ですよw 
「きわめて普通ではない」ってどういう意味やねん。難しいのは分かるんだけど、もうちょっと日本語っぽくできないのかと。
 思い切って、「ハリー・ポッターはとにかく変わった少年だった」ぐらいにしちゃってもいいんじゃないかと俺は思ってしまうわけだ。いかんかなw

 あとこれは俺の知能上の問題なのかも知らんけど、外人の名前が区別できないんですよ。5人も出てきたら混乱するw そもそも男なのか女なのか分からんし、苗字なのか名前なのかも分からん。どうせ訳すんだったら名前も適当に日本人名に訳してくれと思うね。
 そういう意味もあって、基本的に俺は和書しか読まないし、どうしても洋書を読みたいときは辞書を片手に原書を読みます。でもそれだと英語しか読めんけどw

 ということで、要するに村上春樹は俺には合わない、という話でした。


***

 今日はまったりした休日を過ごそうと思って県内にある某島に行ってきました。
 釣り人も多いし、観光地化もされているので、人は結構多いんですが、「漁業と民宿だけでやっていけるんかしゃん」とか何とか余計な心配をしてしまうわけですw
 85の爺さんに話しかけられて、「同級生が20人ぐらいおったけど、みんな死んじゃってもう4人しか残ってない」みたいな話も聞きました。そういう話を聞いて思うのは、それまでみんな島に残ってたのかどうかということです。新たに入ってくる人がどれぐらいおるのか知らんけど、それこそ漁業と民宿しかないような島で、どうやってやっていくのか気になるところです。今のところはスーパーもないし、経済形態も家屋形態も昭和のままの面影を随所に残していますが、今後はどうなっていくんでしょうかね。
 そういえばその爺さんは右腕の肩から下がなくて、シャツの裾をズボンの前に挟んでいました。兵隊に行ったときに無くなってしまったのかどうかは分かりませんが、そういう世代が頓に減少していく時代になったんだなーと感じる今日この頃です。
 なんてことを考えながら歩いているので全然まったりできませんねw

 その島の隣にもう1島あって、そっちにも行ってきました。
 先の島には子供が全然いませんでしたが、こっちの島は子供だらけでした。あいさつ運動をやってるのかどうか知りませんが、やたら「こんにちは」と言われました。さっきもそうでしたが、島内の道路は入り組んでいて、車も通れないような階段道や狭隘な道も多く、軽と原付がメインになってました。原付のノーヘル2人乗りが当たり前ですね。婆ちゃんが孫を乗せて3人乗りなんかで走ってるのを見ると、「平和だなー」と思ってしまいます。
 また近いうちに行きたいと思ってる次第です。

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声090517

 忙しくて書く気にならないので放置しておりましたが、ちょっと書きたいことが見つかったので。
 またしても朝日新聞の投書からです。今日の朝刊(名古屋版)です。


悪習変え名誉の殺人撲滅を    (高校生 17)

 4月10日付本紙の記事で「名誉の殺人」を知った。村の掟を破ったとされる女性が家族や部族の名誉を汚したとして、村の長老の決定で殺害される私的制裁のことだ。
 パキスタンでは村を抜け出した2人の女性が近くの町で発見されたあと、長老の命令で男6人に殺された。逃げた理由は「自分の好きな男性と結ばれたい」、「こんな夫との家庭生活はもう続けられない」といったものである。
 この「名誉の殺人」による女性の犠牲者は年間推定5千人といわれ、中東、アフリカ、南アジアや南米の一部の国などで報告されている。この記事を読んだ時、私は「こんな現実があるんだ」と思った。殺人だけでも大ごとなのに、現地では殺されても仕方がないと言われているそうである。
 不合理なしきたりが存在していることに驚いた。多くの人が、なくなってほしいと願っているに違いない。パキスタンの人々にも他国の文化を知らせ、何が正しいのかを教育しなければいけないと思った。


 ***

 要は、村の掟に背いた連中を「名誉の殺人」の名のもとに殺してしまっているという話なんですが、この高校生の結論が非常に気にくわないんですw

 まずそもそも、この「名誉の殺人」が良いことなのか悪いことなのかというのは、考え方の基準によって変わってきてしまうわけですよ。
 人命に重きを置けば、殺人は悪いことですけど、ムラの掟や文化に重きを置けば、殺人も一つの手段となりうるわけです。

 勿論個々人の中で良い悪いを決めるのは自由なんだけども、それを「これが正しい!」として他人に押しつける行為は、まさに「世界の正義」たるアメリカの思想。何が正しいかなんてことは誰にも分からないのに、「何が正しいのかを教育しなければいけない」という押しつけ思想。これが根本的な間違い。
 そんなこと言い出したら、パキスタンの人たちだって「正しい」と思って「名誉の殺人」をしているわけです。それにどうやって対抗するのか教えて欲しいですね。

 こういう問題は、外野である我々日本人が口を出すことではなくて、その内部で解決する問題なんですよ。それこそ、某団体が「鯨は賢い。日本人は鯨を食べるな。残酷だ!」と言ってるのと同じです。そんなの放っとけっつーの。

 それに、「多くの人が、なくなってほしいと願っているに違いない」という根拠はどこにあるのw 勝手に想像して決めつけないで欲しい。

 そして、朝日新聞はこんな投書を載せないで欲しい。

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地理

 諸事情があって人文社会の勉強をしているわけですが、人文社会系の学問はどうしてあんなに歴史に偏りがちなんでしょうかね。

 本屋に行っても、歴史の本はたくさんあるのに、地理の本だけ数が少ない。大学受験参考書のコーナーでも、地理のコーナーだけ冷遇されていますし、そもそも地理受験できない私大が結構あったりします。

 日常会話でも、「織田信長が〜」「オスマントルコでは〜」なんて言ったら「この人賢そう〜」っていう反応が予測されますが、「沈降海岸が〜」とか言っても「なにそれ、キモ!」っていう反応でしかないんじゃないですかねw

 俺はもともと地図が好きだったり旅行好きだったりして、大学受験の時も地理にしたわけですが、やはり学問的な意味合いでも歴史よりも地理の方が俺に向いていますね。
 俺は闇雲に暗記するのが苦手なので、なんでもかんでも理屈で覚えたいんですよ。自然地理学なんてのは理科に近いところがあるので、暗記ではなくて理解していけばいいんです。

 歴史も本来は理解して覚えていくべきなんでしょうけど、どうも暗記重視型の科目になってしまいますね。困ったもんです。

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浪人

 むかしむかし、このブログに相互リンクを張ってくれていた奇特な方がいました。「浪人主義」という名前でブログをやってた方で、今はおそらく阪大法にいるのではないかと推測されます。

 その「浪人主義」という名前は、単純に現役主義をもじっただけのものだと思いますが、これがなかなか奥が深いw
 これはちょっと反省しないといけないことなんですけども、俺は高校の時には現役主義だったんです。高校の時、というよか、つい最近までは現役主義でした。就活でいろいろ壁にぶつかった結果、現役主義を放棄しました。

 高3の当時は、「どうしても行きたい大学」というのが存在せず、そもそも大学受験のために勉強する意味が見いだせなかったというのもあって、適当に地元大学に進学してしまったわけです。
「大学で人生が決まるわけでもなし、どうでもいいじゃん」と思ったが最後、勉強する気も失せましたw どうでもいいと思ったことに労力をかけられる性格ではないんです。
 今から考えれば「京大っていいかも」なんて思ったりもしますが、もはや後の祭りです。

 浪人するつもりの友人の前なんかでも、浪人に対して否定的な態度をとっていたし、「浪人したってどうせ勉強する気にならんから成績伸びんし」ってなんて言ってた友人に同調していたりしました。

 これは非常に反省する必要があると思っています。

 浪人に否定的な意味合いとして、「時間と金がかかる」という理由以外に、俺の精神的弱さもあると思うんですよ。
 行きたい大学がないというのもありますが、仮に目標が定まってて、行きたい大学があったとしても、「浪人したところで学力が伸びなかったらどうしようか」と思って、その言い訳を作るために挑戦することをやめてしまうのではないかとも思うんです。「浪人して失敗したら取り返しがつかない」ということですね。これは明らかに自分の中にある弱さです。

 いつだったか、件の「浪人主義」の中でも、「俺は本番直前のラストスパートで手を抜く」みたいな話をブログ主がしていました。前もって手を抜いておくことで、「あそこで力を抜いちゃったから失敗したんだよ」という、失敗した時の言い訳を用意しておくわけですね。自分の限界を知るのが怖い、という意味合いもあるのかもしれません。
 頑張るべきときに頑張ることができるという能力は重要ですよ。

 そういう意味合いにおいて、浪人する人はなかなか勇気がある人だと思いますね。
 ただ、それでもやっぱり何の目的意識もなくただ浪人するだけの人に対しては否定的です。
 モラトリアムの延長的な意味合いで安易に大学院進学する人と同様に、時間の無駄であり金の無駄なんじゃないかと。

 ただまあそれもそれで大きなスパンで見たらそんなに悪いことではないかもしれませんがw

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就活

 なんか書こうと思ってて市長選のせいで忘れてたんだけど、そういや今の時期は就活が一段落する時期ですね。
 もう1年も昔の話になるわけですが、今から思い出すと去年の今頃は鬱病状態でしたw

 それまで小学校6年、中学校3年、高校3年、大学4年、と16年間も勉強(+α)だけをしてきただけの生活かが終了し、何になって良いのか、何になりたいのか、何をしていいのか、何をしたいのか、何のためなのか、全く分からない中で、とにかく就活だけはしていかないと周りに取り残されてしまうという不安感に押しつぶされながら就活をするというのは非常に精神的に苦痛であったことを覚えています。

 俺自身の就活の話を少ししましょうか。mixiの本アカで書いてる日記からの抜粋です。

***

 就活を通じて感じたことは、「企業が必要としている人材は、能力のある人間ではなく『使える人材』である」「ウソをついたり、大袈裟に自分をPRしないと合格できない」ということです。
 自分を売り物にして、「私を買ってください」とお願いすることこそが就職活動の本質です。 企業は本当に耳あたりの良い言葉を学生に投げかけ続けます。「平等な採用」「枠に囚われない会社」「自由な社風」と口では言っておきながら、非常に醜い選考活動を行っていました。
 やっぱり企業というのは今までの流れを大事にしてくれる人間を欲していることに気づきました。何かが間違っていても、それを受け入れられる人間を求めています。
 企業が今、新人採用に関して重要視する能力は「コミュニケーション能力」です。言葉を換えれば、いわゆる「協調性」です。聖徳太子も言っていた、「和を以て貴しと為す」の世界が1000年以上経った現在でも広がっているわけです。
 純然たる体育会系のヒエラルヒーのなかで、上意下達を是とし、反抗しない人間、余計なことを考えない人間、嫌なことがあっても顔にも口にも出さない人間、理不尽だと思っても文句言わない人間、簡単に辞めたりしない人間が求められているのだと感じました。自分の意見を言うことすら許されない世界が存在していました。
 自分で言うのもどうか分かりませんが、俺は協調性に欠けていると自分では思っていません。俺にないのは「迎合性」「付和雷同性」です。そんなものは仮にあっても掃いて捨ててやりたい。

 就活全体が、企業と学生との騙し合いに近いですね。互いがボロを出さないようにウソを付き合う。それを仕方ないものとして受け入れる。
 俺が最も嫌悪するものはウソです。本音と建前のギャップが一番嫌いです。社交辞令が嫌いです。
 俺はウソをつかない人として見られることが間々あります。特に志しているわけではないですが、中学校の時に友人にそう言われた時から、それを心の支えにし、一つの目標として生きてきました。
 ウソも方便である瞬間があるのは否めませんが、少なくとも人生の大きな分かれ道である就職において、互いにウソを付き合って、互いを疑い合って決定を下すことがいいことだとは思いません。息をするように平然と嘘をつくことが大人として必要とされるのであれば、そんな社会は壊滅させるべきです。

 3年の秋頃から適度に就活を始めて、去年の4月末頃に1社から内定を戴くことが出来ました。
 ただ正直な話、その頃には自分が何をしたいのか全く分からなくなっていました。就職活動の時点で、世の中の汚さを大きく垣間見てきてしまい、気分が非常に悪かったです。

***

 その後も就活は続けて、なんだかんだでとりあえずは収まるところに収まった感はありますが、正直この仕事を定年まで続けていくつもりは毛頭ありません。今の職場の同期はかなり保守的な人間が多くて、「精神的老人」だらけで嫌気がさします。
 ただ、そんな中にも、俺と同じような感覚を持った人が存在していて、そういう人と仲良くなっていくのが今の楽しみの一つでもあります。

 就職活動で得た教訓をひとつだけ上げるとすれば、「心の余裕こそが何よりも大切」、ということでしょう。

 社会全体に「いい高校→いい大学→いい会社→・・・」という構図が過剰なまでに浸透し、そこから外れることが即ち人生失敗であるかのような強迫観念が存在していることがそもそもの間違いです。
「自分の好きなことをやりたいようにやってりゃいいじゃんww」「1年や2年どうでもいいじゃんww」と思えるようになったら、随分気が楽になります。

 自分の人生の責任を取れるのは自分だけですからね。「他人の戯れ言なんか気にしちゃいけない」ということです。
「黙れクソどもが! いざとなったらいつでも辞めてやるわ!」という覚悟を持って生きていた方が、結果的には精神的にラクなんじゃないかと俺は思います。

 継ぎ接ぎの文章で分かりにくいかも知れんw

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市長選

 今日は市長選でした。名古屋市長選挙。これを書き始めた段階では開票は終了しておりませんが、投票終了の5秒後にはTVで河村氏の当確が出ていたという状況です。

 こないだ家の近所の某駅前で次期市長河村氏が演説をしておりました。「本人」と書かれたノボリの前で名古屋弁をまくし立てていました。チラシを貰って、握手もして貰いました。

 そんな河村氏ですが、どうも女性受けは良くなかったようです。
「なんでイヤなの?」と聞いてみたら、「あの名古屋弁がイヤ」と言われました。
 しゃべり方で判断されたらたまったもんじゃないですね。

 市の職員にも受けは良くないようです。
「なんで?」って聞いたら、「給料カットされるから」だそうです。
 確かにそれは分からんでもないんだけども、そういう人間に限って、役所の試験面接の時なんかには「社会の役に立ちたい」だの「市民のために働きたい」などと嘯いてるんですね。 名古屋市民でもないくせに、「名古屋市は潰れなさそうだからとりあえず名古屋市役所がいい」みたいな感覚で田舎から出稼ぎに来るような連中が名古屋市政を腐らせていくんです。「私は出稼ぎだから名古屋市のことなんか知ったこっちゃない。カネさえ貰えればそれでいい」とハッキリ言えばいいのに、都合の良いときだけウソをつく人間は俺は嫌いです。
 河村氏も、年収500万以下の職員のカットはしないって言ってるんだから、その辺もちゃんと考えて投票すべきなんじゃないですかね。

 まあ選挙が終わったので何書いても意味ないかも知りませんがw、20歳になったら一律に選挙権を与えるという仕組みはあんまりよくないんじゃないかと個人的には思います。選挙投票を免許制にしないと、衆愚政治に陥ってしまうでしょう。やっぱり民主主義制度は、未熟な日本人にはまだ早いですね。

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 ホントはこれに絡んでもっと書きたいことがあるんですが(と毎回書いていますがw)、書いてしまうと個人バレして諸方面に影響が出てしまうかも知れないので辞めておきます。書きたいことを書けないというのは苦痛なことです。

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